【ゼロイチラボ セッションレポート】

2018年2月のゲストは「串カツ田中」を展開している株式会社串カツ田中代表の貫啓二氏だ。貫氏は1998年に飲食業界に入って以来、バーや和食店などトレンドに敏感な店舗を経営していたが、それを一変させたのは2008年のリーマンショックだった。「領収書」ばかりの店だったために、不況とともに一気に客が離れ、倒産の危機が訪れる。そんな状況で最後の一手としてオープンさせたのが串カツ田中である。

資金がないために一等立地は望めず、東京・世田谷の住宅街の一角にぽつんと出店することになった。また、施工費を抑えるために自身も店作りに関わっていく。そしていざオープンしてみると、想像を遙かに超える大繁盛店となる。副社長の実家から出てきたレシピをもとにつくりあげた串カツが大評判を呼んだのだ。たった14坪の店舗で月商800万円に達するほど驚異的な売上をたたき出すようになった。

その後、ソースをはじめ様々な食材について、食品メーカーとともにPB商品を開発して
磨きをかけていく(ちなみに肝心のソースは半年に一度ほどレシピを変えているとか)。それには大きな理由がある。串カツ田中の大ヒットによって類似業態が多数出現するようになったのだ。貫氏は言う。「串カツなんて、食材に串打って粉つけて油に突っ込んだだけと思っている人もいるけれど、そんなに甘いものじゃないんです」。そこでそれらとの差別化をきちんと図っていくためにも、自店舗のレベルを上げていくことを追求するようになったのだ。

さらにこうも言う。「焼き鳥だったら、Aという店がおいしくなかったら、今度はBに行こうとなりますよね。でも、串カツ文化のない東京では、まずい串カツを食べたら『串カツはまずい。もう食べない』となってしまうんです。だから下手な競合によって串カツ自体に悪いイメージを持たれてしまう前に、串カツ田中を出店しなければと考えるようになりました」。そしてそこから急速な店舗展開が始まる。

その際に幸いしたのは1号店の立地だ。もしも最初に繁華街の駅近くに出店していたとしたら、似たような場所を選んで店舗展開を続けていただろう。しかし、そんな一等立地には限りがあるし、当然家賃も高い。そのような出店スタイルでは大きな展開は望めなかったかもしれない。しかし、最初に住宅エリアに店を構えて繁盛させたことで、「こんな立地でも十分に戦える」ということを経験できたのだ。それゆえに串カツ田中は「え、こんなところで?」という場所に次々と出店が可能であり、急拡大をしている。

印象的なのは、従業員の満足度を上げようとする一連の施策だ。3店舗目のときからスタッフには完全週休二日制を導入しているというが、まだまだ「ブラック」な環境が多い飲食業界において、こうした取り組みは非常に進歩的だ。また給与面での待遇を上げる努力をしたり、アルバイトスタッフを含む従業員の絆づくりのために運動会を開催していたりと、社内環境の整備に余念が無い。

串カツ田中には企業理念がある。それは「串カツ田中の串カツで一人でも多くの笑顔を生むことにより社会貢献をする」というものだ。企業理念とは、ともするとただのお題目になってしまいがちだが、貫氏はこれをいかに実現するかばかりを考えていると言う。何かの意志決定をする際には、「これは笑顔を増やすだろうか?」というフィルターでジャッジをしているそうだ。

確かにほとんどの飲食店の存在意義とは突き詰めていけば、「人の笑顔を生む」ことになるだろう。しかし、それを愚直に追求し続けている会社は決して多くないはずだ。串カツ田中の強さの秘密は、実はこの企業理念にあるのかもしれない。

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