【 ゼロイチラボ セッションレポート】

「201号室」や「村上製作所」と聞いて「あぁ!」と感慨にふける人は、相当の東京・外食通(しかも歴史あり)かもしれない。今回のゲスト、株式会社イイコの横山貴子さんは20代のうちに実に9回もの転職をしたのち、「やっぱり自分が好きなことを仕事にしよう」との思いから飲食店を始めることにした。1997年に開いた最初の店が「201号室」である。

この一風変わった名前は、店の物件が恵比寿のマンションの一室であり、その部屋が201号室だったことに由来する。一等立地で出店するには資金が足りず、視認性も何もあったものではないこの物件を「やむなく」選んだそうだが、結果的にはこれが奏功する。恵比寿界隈の感度の高い人たちから支持されるようになり、「隠れ家」ブームの先駆けとなったのだ。続けて中目黒の高架下に出した、外見だけではとても飲食店とは思えない「村上製作所」も同様に人気店となる。

201号室は数年後に「女性シェフと、女性スタッフだけの中華料理店」へと業態を転換する。ちなみのそのときの屋号は「中村昭三」。マンションの一室で、店名は不思議な個人名、それなのに女性によるチャイニーズ。そのギャップやユニークなアンバランスさから、同店も大変な人気となる。このあたりの繁盛店づくりの「ツボ」は横山さんのセンスとしか言いようがないだろう。

ちなみに2003年には同店は沖縄料理店になる。当時は沖縄料理が東京に普及していく少し前の時期だ。さらに2004年には同じく恵比寿で「クラブ小羊」という名前のジンギスカンの店をオープンさせている。同店はその後に巻き起こるジンギスカンブームの火付け役のひとつとなった。こうして時代を先取りする横山さんのスタイルは次第に確立していく。

そしてその「先取り」はどんどんエスカレートしていく。2008年には鴨料理専門店「鴨丸」、2010年には発酵料理専門店「豆種菌(まめたんきん)」、2012年には中国の辺境に暮らす少数民族の料理をテーマにしたチャイニーズレストラン「ナポレオンフィッシュ」を続けてオープンさせていった。最近でこそ、「発酵に注目」とか、「中国雲南省の料理が熱い」などと言われることも増えたが、そうした流れをいち早くくみ取り、実際に形にしているのだ。

こうしたアイディアはどこから来るのだろうか?横山さんは「自分一人で考えているわけではなく、ヒトのアイディアでいいと思うものを採り入れている」と言う。自身の嗅覚を過信することなく、いいものは外から吸収しようとする柔軟さは大きな強みなのだろう。とはいえ、玉石混淆の「他人の声」から、本当にいいものを選び取るのは、横山さんのアンテナとセンスによるところが大きいはずだ。

ただし、こうして新しいことに次々とチャレンジしている事実の裏側には、実はそれまでの店がうまくいかなくなったという現実がある。売上が芳しくなくなった店を、同じ立地で違う業態に変えているケースがほとんどであるからだ。横山さんはそうしたスタイルについては「私は見切りが早いんです」と語る。一度ヒットしたものがダウントレンドになった際に、それを今一度V字回復させようと歯を食いしばるのではなく、次に注目しているものに切り替えていく。これは横山さんならではの「流れを読む力」、そして「しなやかさ」と言えるはずだ。

今は通常の飲食店経営の他に、一般社団法人日本発酵文化協会を設立して、その代表理事を務めたり、胡椒をテーマにした物販店を開店したりと、更なるチャレンジを続けている。横山さんの会社、株式会社イイコのテーマは「半歩先の食探し」。「ゼロから食ビジネスをつくるラボ」のメインテーマである「ゼロイチづくり」をまさに体現しているパイオニアと言えるだろう。

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