「地域と食の新しい働き方ラボ」1人目のゲストは、神奈川県茅ヶ崎市で熊澤酒造の代表・熊澤茂吉氏。

熊澤酒造は「天青」などの銘柄で知られる湘南最後の蔵元。「湘南ビール」のブランド名でクラフトビールも醸造・販売している。酒蔵を訪ね、一歩敷地内に足を踏み入れると誰もが驚く。数百年ものの古民家や蔵を活用した和食・イタリアンのレストラン、ベーカリーカフェ、古道具屋、作家の作品のセレクトショップ、などが立ち並ぶ、独特の世界観をつくりだしているのである。

熊澤氏は若かりしころ、家業を継ぐことが嫌でアメリカ留学を選択する。ところが渡米した後、学校へは行かずに放浪の旅に出てしまう。気の向くままに気に入ったまちに滞在し、時に働き、また移動するという生活。そのときに魅力的に感じたのは、その場所を作ってきた人の思いが表現されているような地域や建物だった。いつどこにいてもよい生活のなかで、自分の感覚に照らし、何を美しいと感じ、何を不快に感じるか、それだけを頼りに地域を旅した。この時の経験が、後の熊澤酒造の空間づくりに大きな影響を与えることとなる。

転機となったのは、実家の蔵元を廃業するという知らせ。どうするか考える上で意見を求めたのは、とある現地の日本人経営者。日本酒業界にも通じた見識のある人物だった。返ってきた答えは「やめておいたほうがいい。日本酒業界には未来がない。」といった厳しいもの。熊澤氏はこの時の気持ちを”お前の母ちゃん出べそ”と言われたような気分だったと表現する。なんとかしてやろうというスイッチが入った瞬間だった。

帰国し酒蔵を継いでからは、生き残りの戦いの歴史である。

当時は安酒、高級酒に市場が支配され、それ以外の日本酒が売れない時代。新しい日本酒をつくりたいと考えたが、それまで画一的な酒造りしかしてこなかった杜氏たちには受け入れられなかった。最終的にどうしても意見が折り合わず杜氏たちは解雇し、当時、阪神大震災で職を失っていた杜氏を雇用した。しかし、酒造りには最低5年かかり、このままでは資金繰りも厳しい。そこで、当時流行り始めていたクラフトビールを作ろうと考え、ドイツに勉強に。帰国後「湘南ビール」として発売し、クラフトビールの先駆けとなった。

クラフトビールの成功は、皮肉にもビール専門の醸造メーカーというイメージを浸透させてしまう。そこで日本酒のアピールのために和食屋を開いた。住宅街に立地する酒蔵は流通には不利だが、人がたくさん住んでいる住宅街だからこそ来てもらうことができる。営業活動をやめ、試飲スペースを作った。最初は食事のクオリティも低く苦戦したが、その後は料理人を雇い、すこしずつ人気店に。日本酒には銘柄のわかる表ラベルをあえて貼らずに味で勝負した。しかし今度は飲酒運転の厳罰化という流れが襲う。客足が遠のくなか、今後はアルコールを含まないものを売ろうと、ビール酵母を利用して生地を作り、パン工房を開く。その流れでピザを提供する店もオープンしていった。どれも、生き残るために生まれた発想であり挑戦であった。

あらためて造り酒屋の地域における役割とは何か。配送の交通インフラがなかった時代は、地域住民が徳利をぶら下げて歩いて行くことのできる範囲に造り酒屋があった。需要があるのである程度の資金力がある者は造り酒屋になり、ピーク時には神奈川県内に1,000軒とも言われた。結果として、地域の酒蔵は、資金力もあり、地域の名士として祭りなどの行事や文化的活動の取り仕切り、地域住民の相談役など、現在の役所的な役割をも担う存在であった。

熊澤氏は、ものごとを判断する際に頭においているのは「地域にとっての誇りとなりうるか」ということだと言う。同社の取り組みは、流行の古民家再生、リニューアル、リノベーションとは本質的に意味が異なる。長い年月をかけ、自分の目で選び、造り上げられた場所やものたちには人の心に強く訴える何かが宿る。流行のものは好きだが、かっこいいなと頭で思う程度だったらやらない、やりたくて居てもたってもいられなくなるほどの衝動に駆られたものだけやる、と話す熊澤氏の次なる計画が楽しみでならない。